赤い服を着た俳優の夢から剣の宮への考察

たいへん、ご無沙汰してしまいました。ゆるゆると再開します^^

今年1回目の投稿は、ある夢見から、京都タロットについて考察するお話です。

 

映画のワンシーンと思しき場面を見ている夢を見ました。

全身、真っ赤っかな服を着た古谷一行が胸を刺され、彼が「これは鬼龍院か」と切りつけた相手に尋ねます。相手は「違う、矢音(やおと)だ」と答えます。

互いに不思議な顔をして見合わせる二人。
矢音なら致命傷を受けるはずなのに、どうやら自分は助かっているということのようです。討った方も討たれた方も、あれ?という感じなのです。
その時、矢音を受けた誰かが後ろの方で倒れた気配がしました。
二人とも、何が起こったかよくわからないという感じです。

この同じシーンが3回繰り返されるという変わった夢でした。

リピートする夢なんて、そうそう見るものでもないですし、真っ赤な古谷一行の衣装も印象的すぎて、これは注目すべきだと夢の世界から言われているようでした。
...

さて「矢音」とは、この夢では、刀の名前ですが、一般的には、刀を振り下ろした時の音の表現として使われることが多いように思います。

(こんなふうに言うと、私が普段から、このようなことに詳しく、よく考えている人のように思われるかもしれませんが、この夢を見るまで、ただの一度も、刀の種類や名称、あるいは「矢音」という表現について考えたことも、脳裏をかすめたことすらなかったということを、付け加えておきたいと思います。また古谷一行さんのことも、金田一耕助役で知られていることと、MEGUMIさんのお舅さん(笑)というくらいのことしか知らず、特に考えたこともなかった俳優さんです)

最初に思い浮かんだことは、京都タロットの宮(スート)のひとつ『剣』について示唆を受けたのではないかということです。

 

『剣の弐』の背景は赤色です。
『剣の参』の背景は青系ですが、剣の弐の背景と同じ赤の格子の模様がほんの少しだけ使われています。
つまり、この二枚は繋がりとして見るべきでしょう。(いや、この2枚だけでなく、すべてのナンバーは繋がって並んでいるのですが)

剣の弐は、最初の二人を暗示します。古谷一行と刺客の男性です。
そして剣の参。これは、場面には直接出てきませんでしたが、矢音で切られた3人目の「だれか」を暗示しています。
このように見ればわかりますが、この2枚は『矢音』という一つの軸に貫かれているのです。


私は、前にこの2枚の解釈で、
剣の弐には『折衷案を探る、歩み寄り。新しい考えを招き入れる』
剣の参は『行き詰まる。心が乱れる』という意味を付していました。

この解説では、剣の参は、否定的な意味合いの強いカードであったわけですが、実は、必ずしもそうではなく、かつての何らかのアクション(@矢音)が、意図ではないところに爪痕を残していることを知ること。または、伐られた側(古谷一行)から見れば、ある種の「身代わり」という守りがあることも語っているように思うのです。

 

ここまでまとめて気づくことは、あの夢は、メジャーカードの『拾伍、オロチ』、さらに『八、エンマ』のことではないかということです。
三の数が三回リピートされることは3×3=9と考えられなくもないですが、私は三進法を連想してしまいました。
三進法で3ずつ繰り上がって3回目の数字は、馴染みのある十進法で言えば「8」にあたり、さらに三進法でなら「22」です。そう、22はメジャーカードの枚数で、8はエンマでもあり、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)を連想させる数字でもありますね。
『拾伍 オロチ』はヤマタノオロチ伝説をテーマにしましたが、そういえばオロチのスサノオノミコトも『八、エンマ』の閻魔さん≒小野篁も赤い着物に身を包んでいますし、なんだか夢の中の古谷一行ともリンクしていますね。さらに、古谷一行が最初に『鬼龍院』かと刀の名を尋ねていました。鬼龍という言葉は、まさにオロチっぽいです。

 

……なんだか、かえって、ややこしく感じてしまったらごめんなさい。
 

(前に書いたことがあるかもしれませんが、私は、あの2枚のカードに繋がりを感じていまして、それをどのように説明したらいいのかを、ずっと考えていました。…なので、夢の世界の私が、あの手この手で解説してくれたのだろうと思えます。)


あの剣の2、3の2枚が「矢音」という軸に貫かれていると先ほど書きましたが、実は「矢音」という軸は、あの2枚だけではなく、すべての剣の数カードを貫いており、さらに8と15を含めた剣の宮全体を象徴したものではないかということです。

 

 

また、日本人にとっては特に、「三」というのは、とてもメジャーな数字で、ラッキーナンバーにしている人も多いのではないかと思います。
3本の指に入るという言い方もあるように、日本三大〇〇など、3つの立派なものを並べ称したりもします。
そんなあれこれを考え合わせながら、あちらのブログで書いた、三叉槍という三と剣(槍などの武器)のシンボルを考えてみますと、わかりやすいように思います。

3つの槍は、致命傷を負わせるほどの強い力を持ちながらも、強い守りにもなっているということです。
...

 

◉『拾伍,オロチ』の伝えたいこと

三種の神器の一つ、『草薙の剣』がふと浮かびました。攻めも守りもあるという、ヤマタノオロチ伝説でのスサノオノミコトが見せたような、闘う人の本当の強さを示すシンボルが三と剣の組み合わせにはあって、それが、草薙の剣として象徴されているように思えました。もちろん、その剣先が三又になっているって意味ではありませんけれど。

草薙の剣とは、きっと、あの夢で例えるのなら「矢音」のこと。先ほども書きましたが、刀を振り下ろした時の音を「矢音」というように、草薙の剣というのは、実体があるというより(熱田神宮に存在すると言われていますが、そういう意味ではなくて)、その神がかり的な勢いや強さを象徴する名前。

数カード『剣』の弐から参に現れているのは、行き詰っても、折衷案を探り、一致点を見出すなりして、新しいアイデアを見出したり受け入れたりすること。剣の宮は、とどのつまりその繰り返しであろうということです。

タロットの15番といえば、ネガティブな意味合いが目立ちますが、実際は守られており、うまくいっていることも、それゆえ遊び心を持って闘いに挑むことも、京都タロットの絶対肯定性として、伝えたいところだと改めて思ったわけです。


◉『八,エンマ』の伝えたいこと

エンマは剣の宮全体の統括カード。オロチで見つけた『草薙剣』は、ここでは『閻魔さまの尺』として現れています。裁くことは、伐ることに同じ。もしくは、直接伐ることなく、裁け(判断せよ)と、閻魔さまの透徹した眼差しこそ、この宮で望まれていることだと教えてくれているわけですね。それゆえ、剣の宮(Sword)は「思考」を担っているとされているのです。

剣の宮を貫いているとした『矢音』。やはり、草薙剣そのものですね。音で『実体』を感じさせるのですから。そもそも幻でしかない世界を、できるかぎり適切に捉えるという力。矢音とは、まさに思考の力です。

 

 

さてさて、そんな京都タロットのことを、これからも思うままに綴りたいと思っています。西洋タロットを踏襲している面もありつつも、かなり違うものでもあるとも言えます。楽しんでお読みいただければ嬉しく思います。

剣の九、たとえ形勢不利であっても

このスプレッドは、犬をも喰わぬ口論をしたあと(いんや、口論と言っても、一方的に怒られているだけなんだけど…^^;)に展開したもの。下の3枚が通常の三柱鳥居法。見る人が見ると笑えるのでは?

ここでは『剣の九』について。「形勢がどうしても不利」というカード。笑

 

ただし、絶対肯定の京都タロットは、ここでガッカリなどいたしませんよ。「形勢不利」という状況が、「現在、完全にオッケー」であると読みます。すると、見えてくるでしょう?

『八、エンマ』『六、ムスビ』の真の意味が。

 

確かに、口論の時はズタズタに傷つきましたが、ここではその不利な状況を変えようということではなく、だからこそいいのだと率直に反省をして、忘れることは忘れ、あるいは惰性になってしまっている悪しき習慣(←これについて怒られまして…)を潔く切り捨てることで(エンマ)、より良き強いパートナーシップが育まれる(ムスビ)ということを教えてくれているわけなのですね。

 

さらに、アドバイスを求めたところ『拾、コノハナ』。このパートナーシップから何かが生み出されるという暗示までいただきました。(@もう、赤ちゃんは結構ですが…by.アラフィフママ)

 

このあと、『剣』について洞察する夢を見ましたが、それはまた次回^^

男の子たちの愛とロマン〜剣の神秘〜

夫のシャツを梱包していた袋の中に、こんな面白い形をしていたクリップを見つけました。

この形を見て、すぐに脳裏をかすめたのが、ホロスコープの海王星マークです。

このマークの元になっているのが、ギリシャ神話に登場する海神ポセイドン。 シバ神も同じものをお持ちですね。

これを三叉槍(さんさそう)と呼びます。三又のヤリ。
トライデントとも言いまして、「三つの歯」という意味です。海の神様が持っているということは、もともとは魚を捕獲する銛(もり)の役割だったのでしょう。

しかし、このトライデント、ただの銛とは違います。洪水を引き起こしたり、泉を沸かせたり、摩訶不思議な力が宿っています。ポセイドンは嵐と地震の神として恐れられていますが、三叉槍はいわば破壊の力を象徴しているようです。

破壊神といえば上のシバ神もそうですね。インドにおける創造と破壊の大神です。

 

 

毘沙門天さんの持ち物にも、この三叉槍は定番です。鞍馬寺にある国宝のこの毘沙門天像さん。こちらの三叉槍は海王星のマークより天王星のマークの方が近いですが。
それにしても、迫力ありますね。遠くを見渡すこのポーズ。どこに隠れていても見つけだされそう…。

あの空海さんが護摩祈祷するときに使ったという密教法具、三鈷杵(さんこしょ)。空海さんの肖像画の多くは三鈷杵を持っています。おそらくですが、三叉槍(とそのパワー)が由来なのではないでしょうか。

まだ、天津神と国津神の区別のなかった太古の時代、古事記では「国産み」の伝説として知られていますが、イザナギさんとイザナミさんが、まだ海もなく山もなく混沌としていた大地をコンロコンロとかき混ぜて、その切っ先から滴った雫から島ができたものが日本国土の始まりであると神話は語ります。

この時に手に持っている道具を天の瓊矛(あめのぬほこ)と言います。宮崎県の高千穂には、このような天逆鉾(あめのさかほこ)の像もあるようですが、よく見れば切っ先が三又ですね。ちなみに天逆鉾というのは、天の瓊矛が「逆さ」に刺さっているところからそう呼ばれているそうで、天の瓊矛と同じものです。

槍や鉾には、破壊だけではなく、そもそも「創造」の力も宿っているとされたのは、このような神話が根拠になっているのでしょう。
では、さらにここで、もっとその奥を探ってみましょう。
なぜ、槍や鉾が創造のモチーフとなっていったか、そのはじめのはじめを。
神話の根源を感じたいと思います。

これらの槍をじっと見てください。
確かに、ただの武器というより、何か不思議な力が宿っているような気になりませんか?
そして、その上で神話を浮かべてみましょう。

 

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プーチンさんとイザナギ考

まもなくプーチンさんが訪日されるということで、夕方の情報番組でプーチンさん特集を見ました。
たいへんなスポーツマンで、還暦を回っておられますが、実はかなりマッチョ。
(当然ですが)ものすごく頭が切れて、しかし、情に篤い人だという感じがしました。まあ、番組の作り方によって印象は左右されるでしょうけど。(-_-)

プーチンさんは柔道を幼い頃からなさっているようで、その縁であの山下さんとも交流を持たれているそうです。山下さんがおっしゃっていたことは、

明晰で懐の深い人で、冷徹なところもあるが、奥底に熱い思いが感じられる。
ただ彼は、ロシアの国益を第一に考える一国のリーダーであって、日本のために物事を考えているわけではないので、「日本のことも考えてくれるだろう」という甘い見方ではガッカリするだろう…

というような内容でした。まさに と感じました。
そして、このカードを思って、なぜか込み上げてくるものがありました。

このカードにある厳父性とでも言うべき強さと情の深さ。
大きな情を抱きつつも、しかしその中にどれほどの涙を呑みこんだことだろうと。
「お手柔らかに」なんて甘い泣き言は、一瞬足りとも洩らせなかっただろう…そんなことが思い浮かんで、ぐっときました。
あのような大国において、リーダーを務めるというのは、私などでは想像もつかないことです。

 

彼は第一義のためにつまり国益のために、多くを犠牲にしてきたことでしょう。その下には数え切れないくらいの個人的な涙もあったことだろうとは思います。しかし、もはや第一義と彼は一体であると言えるくらい、イザナギそのものであるとも言えそうな気がします。第一義こそが、本心、本懐だと信じ込めるくらいに。

 

あ、ロシアの方にイザナギというのは違和感があるかもしれませんので、スラヴ神話から。

スラヴ神話には、軍神『ペルーン』という神がいまして、スラヴ神話の主神、もっとも有名な神様です。
あまり画像が残っていないのですが、私の記憶ではペルーン像もだいたい剣が描かれていたと思います。

 

軍神ペルーン

剣は一本の大きな筋であり軸。信念を表しています。
善悪の善というより、彼が善と「信じたもの」を表しています。
「筋の通らない」ことを嫌がることも特徴です。
しかし、その頑固さ、鉄の意志で涙を呑み込み、切り開く強さ。それにより現実化されます。それがイザナギ性です。

まあ、むろん、この方も、イザナギ性で対処しておられますが。

どうしてもスケールが違います。これはどうしようもないこと。
大国と島国の違いとでも言えましょう。
島国では、このほどほど感も大事です。笑
あまりに強大で有無を言わせぬリーダーというのは、大国をまとめる人物には不可欠な素質と言えるかもしれませんが、この小さな国では危険なものがある気がします。

そんな折に、我が家の親分が新しく購入したシャツに、このようなものが付いていました。たぶん、シワが寄らないためかと思われますが、なんだか剣っぽい。

男性の白いシャツの背筋の部分に剣型。いかにも戦うビジネスマンぽくてカッコいいシンボルを見た気がしましたわ。笑

また、剣についてもどこかで書きたいと思います。

良縁のちから

高校時代の親友のM子とランチ。「親友」と呼べる人は実は少ない。
ゆっくり話したのは10年以上ぶりだったけど、会える頻度に関係がない存在。何年も会わなくても、いつも幸せを祈っている人というのがいる。それは手を合わせて祈るということではなくて、忘れることがないというような、そういう人。話していても、内容ではなく、伝えたい「何か」が伝わっているのが感じられる人。彼女が伝えたい「何か」が違和感なく理解できること。


やんちゃで勝気な娘時代を共に過ごした日の、その記憶自体が薄れても、あの頃に共有した「何か」は、何年離れていても枯れることがない。幼なじみというアカンかった時期を知っていてくれる人種(笑)とは、実に不可思議なもの。その「何か」にはどんな判断もなく、泣いてても、悪態ついても、やさぐれていても、大きな受容だけがそこにある。言葉にすれば陳腐すぎて言えない「それ」は、喜怒哀楽を丸呑みしている。

「何か」「それ」は、このカードに流れているもの。西洋タロットの『恋人たち』だが、単純に恋人関係という意味ではない。

このカードに託したものは、友をまるっと許しているそれ。許されているそれ。縁というのは、さまざまな関係性において浮かび上がるもので、ムスビという惹かれ合う力は「良縁」と呼ばれる。

 

◉「それでも君と惹かれ合う『六、ムスビ』」の解釈はこちら=公式サイト『京都タロット 宙のメサージュ』より

ここでは「新しい関係性をもたらす」とサブタイトルを付けているので、今回のテーマとの矛盾を感じるかもしれないが、「新しい関係性」の根底にあるものを指し示している。新しい関係性は、実は古い何かが由来しているかもしれないという側面。

神話は、鏡面のように反転して現実を映す

──足の親指から生まれた一寸ジジイの夢

足の親指から、『ちっさいおじさん』が出てくるという夢を見ました。よく見ると、ただのちっさいおじさんではなく、数年前に他界した私の父でした。

しばらくすると、父はまた指の中に戻り、そのあと、口の中から再び出てきました。親指姫ならぬ親指おやじというか、一寸法師ではなく一寸ジジィというか、小さな小さなミニチュア親父が、私の体の部分から現れ出るという、とてもファンタジックな?夢を見ました。

奇妙奇天烈な、だからこそ、ある意味とても夢見らしい夢見でもあった一寸爺の夢でしたが、夢見というのは、神話の原型、つまり物事の成り立ちを教えてくれる場合も多いようで、この一寸爺の夢見にも神話的な含みが感じとれました。

 

──神の身体の一部から発生する神々たち

神々は、分娩によって生まれる場合もありますが、神話の始まりの頃の神々は、親となる神様の一部分から発生するように描かれることも多いのです。
たとえば、古事記にあるアマテラスとスサノオの誓約(うけい)と呼ばれる一節には、アマテラスはスサノオの持っている剣を口に入れて嚙み砕き、その時の息の霧から三柱の女神が生まれ、そのあと、アマテラスのもっていた勾玉をスサノオが噛み砕くと、その息の霧から五柱の神々が生まれたというものがあります。

 

また、ギリシャ神話の有名な女神アフロディーテ(ヴィーナス)は、天空神ウラノスの切り取られた男根が海に落ちて、その時沸き立った泡から生まれたとされていたり、エジプトのライオンの顔をした女神セクメトは太陽神ラーの左目から、あるいは、象の神様で有名なインドのガネーシャ神は、母親のパールバティが体を洗った時の垢から……等、神様が神様の一部から現出するお話は、まだまだたくさんあります。

また、それらの神話は、近親関係間に見られる例が多く、たとえばアマテラスさんとスサノオさんは姉弟ですし、そもそもお二方とも、イザナギさんの左目からアマテラスさん、鼻からスサノオさんが生まれています。

近親者と結婚したり、あるいは交わって、あるいはやりとりの中で生まれ出る神話は世界中にあります。
一寸爺の夢見でも、私の足の親指と口内から出てきたのは、紛れもなく私の亡父でした。

 

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金縛り奇譚 本当に魑魅魍魎は跋扈しているのか

先日、大学生の娘が「久しぶりに金縛りに遭うたわ」と告げました。

合宿から帰ってすぐだったので、だいぶん疲れていたようです。

疲れていると、肉体の就寝と、意識の就寝にタイムラグが生じることがときどきあって、そのズレに金縛りという一種の不快症状が起こるのではないか、と私は仮説を立てました。

 

──深夜の騒ぎ声の秘密

 

金縛りにかかるとよく、家の前の小さな通りを人の集団がガヤガヤと騒ぎながら通っていく幻聴が聞こえます。

すぐ近くに大学があるので、最初は、学生の集団が本当に歩いているのかと思っていたのですが、隣人さんに「真夜中、大勢の人が家の前を通らはった?」と訊ねてもどなたもご存知ない。

それで、これは、金縛り時によくある、ただの幻聴の一種だと考えるようになりました。

 

ところが、娘も全く同じこと=金縛り時は家の前を学生の集団が通過する声が聞こえる=と言い出したのです。ちょっと不可思議には感じましたが、集団の騒ぎ声が聞こえるというのは、意外と「金縛りあるある」かもしれないと、娘と話していると……

 

30年ほど前に一度しか金縛りを経験したことがないと言っていた夫までもが、3日ほど連続で金縛りに遭い、「大勢がガヤガヤと外通りを過ぎていく音がした」とやっぱり言うのです。それまでに、娘も私も、この幻聴のことなど、一度も夫に話したことはありませんでした。

これって、金縛りのあるあるなのか、我が家的あるあるなのか?

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写真家 さとこさんのこと

朋百香さんのブログに、写真家 野口さとこさんが撮ってくれたトークイベントの様子がアップされています。

京都タロットにマッチした会場の様子が、プロの写真家さんが撮ってくださると、まさに寸分の狂いもなく伝わります。ぜひご覧下さい。

・朋百香さんのブログ → 会場  イベント

 

本日は、写真家さとこさんのお話です。  ↓ めっちゃ笑っている朋百香さんと私…;

 

さとこさんは、講談社『日本妖怪大百科』の金運神社特集の取材の時にご一緒して、私と妖怪を繋げてくれた人。(笑)

水木しげる先生&布枝ご夫人、ご家庭の様子を撮影したということで、私に「ぜったいこの本はキマす!」と言ってプレゼントしてくれた本が、当時、まだ話題になっていなかった発売されたばかりの『ゲゲゲの女房』でした。その後、朝ドラ化されるなどの大ヒットとなって、妖怪の再ブームが到来したことはご存知のとおり。

 

さとこさんはフットワーク軽やかに全国飛び回っていて、京都をほぼ出ない私とは対照的な暮らしぶりではあるのですが、共通点と言えば「神様」と「妖怪」の境界をあまりはっきりさせていないというか、「上下」というカテゴライズに違和感を覚えるところ。たとえば、神様=すごーい、妖怪=ふーん…というような反応にはなりません。エネルギーの精妙さなど、もちろん気づいても構わないとは思うけれど、それで上下判断するくらいなら、気づかへん方がずっと素敵やん。(エクソシスト業の方は、また別かも…ですが - -;)

 

妖怪には、歴史の中で、そうなっていった理由があって、私たち人間の中にある「ある想い」を醜悪と名付けて、存在しないフリをしてきた幻の塊の呼び名。それだけに身近であって本来親しみの持てる愛嬌を感じますね。単に怖れたり、駆逐すべきものではなく、きちんと対峙して、できれば仲良くなること。それが成仏であり、鎮魂ですね。報われるのは、妖怪というより、妖怪化させてしまったあなたの「想い」なので、これも、ある意味京都タロット的。今風にいうならインナーチャイルドとかいうのかしらん?


水木さんをはじめ、荒俣宏さんや文化人類学者の小松和彦先生などの、錚々たる妖怪博士たちを写真に収めてきたさとこさんなので、彼女の感じるところはとても面白い。京都に拠点を移されて5年ほど、ときどきランチしたり、呑んだりさせてもらっています。

私は、ここぞ!という時や、ちゃんとした写真は、さとこさんに撮ってもらいます。3割増しで美人になります。( ̄▽ ̄)v

私は、なぜか、さとこさんに、この人を重ねてしまいます。

イナリ。言わずと知れた陰陽師、晴明さんがモデルです。式神つかい。私は、さとこさんは式神つかいではないかと、こっそりと思っています。御当人の自覚ないけれど。(笑)

若い頃、写真学校に通ったことのあるといううちの夫は、写真を見る目がある人で、さとこさんの写真を見ると「光を使うのが、ほんまに上手いなぁ」と感心して言います。私は心の中で(そうそう。光と式神を使うのが上手いねん)とつぶやきます。

 

あ、今思い出したけど、昔、ほんまもんの陰陽師さんに出会ったことがあって、彼は陰陽師というのは「白でも黒でもなく」「両方を使って、(世界を)中和させる」のが役割とおっしゃっていました。まさに、ですね。その陰陽師さんも、そう言えば、妖怪を特別視なさっていなかったです。良いも悪いもなくて、役割の違いだと。

そういや、プロモーターのスタポの仁美さんも、式神つかいだと思います。彼女はほんまに風水師でもあるし。

 

おっとと閑話休題。

さとこさんがせんだって出版された青幻舎さんの『京都日常花』もいいですよ。Amazonへ→

社寺や老舗など京のしつらえに溶け込んだ生け花の写真集。

 

 写真家・野口さとこのオフィシャルサイト

 

ここ↑、めっちゃ素敵。彼女のライフワークでもあるお地蔵さん写真や、チャーリーの写真もいっぱい。

ドキドキしますので、心してお楽しみください〜。

そういや、前に、さとこさんの個展でチャーリー写真集を買ったことを書いたような。

チャーリーさんのfacebookページもあります。

 

なぜか珍しく、人の紹介などしている本日。

何年か前から、調べ物と買い物とYOUTUBE以外ではネットは見ないワタクシです。鎖国的ネットライフ。(笑)

とはいえ、放っておいても、娘からイマドキのオモロイニュースは入ってくるので、見てない割にはこれでも意外と知っているのですよ。

 

否定的に見えるカードのこと

5日間の間、ひょっとしたら100名近くの方に『京都タロット占い』をさせていただいたかもしれない。こんな短期間で、いっぺんに個人的なことを見るという経験は、今までもこれからも、もうないのではないだろうか。そのことを朋百香さんは、「見てて思ったんだけど、あれは『させられてた』わね」とおっしゃった。

 

させられた というより、させていただいたとしか思えないけれど、あの怒涛の日々、みなさまのおかげでカードに対する感覚がすっかり変わった面がある。それは、いわゆる否定的(に見える)カードが出た時。

今までは、アダシノやイドが出た時は、いっしゅんドキっとしたものだったが、カードの絶対肯定性がはっきりと理解できるようになったおかげで、「おっしゃ、きたできたで〜!」と思えて逆に嬉しいとまで感じるようになった。

先日、ある分野のことを訊いたとき、これがキーポントの箇所で出た。「いらないものを妥協なく捨て去るカード」。この場合のいらないものは「奴隷性」と言えるような、使用人根性(笑)なのである。思い当たった。おおっ!ついに、これが捨てられるんや!と嬉しかった。このことも、ある友人を見せていただいたときに出てきて、「理解できる。そうやって生きてきた」と言って一切動じていない姿から、本来のイドなる役割が、彼女の在り方といっしょに腹の内に納まった感覚があったから。以来、本当に好ましく大好きにさえ思えるカードに変わった。そして、数日後のおととい、これがはっきりとわかることがあった。迷わなかった。

ほんと、今回は、どんなに多くの人に助けられただろうか。

衝撃の手相見

展覧会では、たくさんの方に出会ったり、再会したり、みなさまに支えられていることを実感させていただいた1週間でした。
そんなあれこれについても、これから、ちょこちょこっと思いつくまま話そうと思います。

   ∞

白い着物をお召しになった女性がいらっしゃった。風格と存在感のある、姉御肌であることが一見してわかるオーラを放たれていた。
お声を掛けると、お知り合いから伝え聞いたということでお越しくださったとのことで、とある武道の先生をされていて、手相見の専門家、さらにいくつかの専門職を持たれた多彩な能力をお持ちのT子さんという方であった。

私自身が「へなちょこ感性」と呼んで、いわば楽しんでいるだけの、漠然と感じてはいても、はっきりと掴みきれていないある感受性についても、何も話していないのに、すぐに気づかれて、この人は「これ」を共有している人だということが、ちょっと面白かった。というのは、私とは違ったタイプの、安定感のある、しかしとにかく鋭い人であったから。

その日、京都タロットと、彼女が編み出したという特色のある手相見を、物々交換(笑)させてもらったのだが、彼女の手相鑑定は、ある意味、衝撃的であった。
「ここに『魚』があるから、もうすぐ〓〓に行きますね。でも、そのとき、自分の××にこだわらないでくださいね」
いや、〓〓の件については、今のところまったく現実的ではない話で、何一つ具体的に考えていないことではあったから、ピンとは来ていなくて「へーぇ?」と不思議がっているだけの感想。でも、とても嬉しい話ではあった。

そして、もっとも衝撃的だったのは、鑑定は「それだけ」だったから。(笑)

私は「もうちょっと何か」を欲しがり、「気をつけた方がいいことってありますか?」と聞いたら、「(わざわざ)気をつけたこと聞くのって、(人は)好きですねぇ」とニヤリとおっしゃって、私ははっと気づいた。そして、T子さんは「私の言うことは『当たってしまう』から……聞きますか?」と。私はもちろん「いいえ、やめます」と告げた。

ああ、これが鑑定なのだ と。

短い言葉で、端的に、届ける。

それは、相手を信頼しているから、できる。

もちろん、人によっては、多くの言葉がいる場合もあるだろうけれど、あの時の私に、実際、それ以上の言葉が必要だったろうか?
それ以上の言葉を求めることが重さであり、不用なことなのだ。
T子さんも、自分の口から出るコトバを信じておられるから、余計なことは一切伝えず、この一言だけに集約されたのだろう。

果たして、翌日のことだ。〓〓の申し出が、2件続けてあった。
まあ、まだ、個人の思いつきの段階だから、どうなるかは全くの未知ではあるけれど、確かに、前日おっしゃった「たった一言」が動き始める「兆し」は感じられた。

鑑定もいろんな個性があっていいが、彼女の鑑定は「そぎ落とす」鑑定だ。
そぎ落とすというのは、本当の祈りなのだと、私は思っている。
何かをお願いするのではなく、いらないものを「そぎ落とし、捨てる」方の祈り。

捨てて捨てて、捨てて…捨て切ったら、現れるもの。それが、当人の本質、本性なのだから。
祈りとは、本来、そぎ落とし なのだ。
私は、『拾八、セオリツ』を感じた。あの激しさと勢いと潔さを。

西洋タロットでは『月』。

スーパームーンを翌日に控えていた。