鬼から角を取る作業、趣深き「鬼子母神堂」へ

次は「雑司ヶ谷行くのならぜひ」とお薦めがあった場所、鬼子母神堂へ。Yさんによると、鬼子母神堂の鬼子母神様は良い神様なので、鬼の上のツノはないそうです。Yさんが以前にこちらの関連のお仕事をされた時に、ツノのない鬼という存在しない漢字を創るために、鬼からツノを取るというデザイン上の作業を、一文字一文字していたとうかがいました。

「鬼から角を取る作業」
ほぉお〜。たいへんシンボリックな作業ですね。笑
聞くだけで、なかなか骨折りだったとお察ししますが、Yさんにとって、何かしらの象徴的な出来事があったかもしれない…などと思ってしまいました。勝手な想像に過ぎませんが。(^_^;)

鬼子母神堂のリーフレット。やはりツノがない。

昔からのブログの読者の方はご存知かもしれませんが、実は、私は鬼子母神がかなり好きでして、それは、幼児を食らうという悪行ゆえの深い絶望を味わってからの復活劇として、さらにそこから女神にまで精神が昇りつめて行くというものに、シンパシーを覚えるから(子供を喰らったことはありませんが;)。「聖なる」だけではない、骨太の典型的母神像を感じます。娼婦から聖女へと昇華される、マグダラのマリア的な女性像も重なって見えます。「心から改悛する」姿、テーマに深く心を惹かれる何かがあるからです。

その点から考えますと、Yさんの「鬼から角を取る作業」というものの本質がなんとなーく垣間見れる気がしました。もちろん、そんなことを意識しながら仕事をされていたわけではないはずですが。

さて、鬼子母神堂さん。結果から申しますと、すんごいところでした。
日曜日だというのに人も少なく、大都会の喧騒のそばにいるなんてとても信じられませんでした。ご紹介したい気持ちと、あまり人だかりにはなって欲しくないような、複雑な気持ちになるくらい、個人的にはとても好きなところでした。

また、長々と書くのもしつこいので、写真で通り抜けようと思います。

 

まず、都電荒川線で一駅の移動。街中の電車なのに、のどかな雰囲気がありますね。関西圏のPitapaカードも使えました^^。清潔で空いているのが、心地よかったです。
前から乗って先払い、後ろから降りる…というシステムは、京都のちょうど逆なので、意識していないとポカをしてしまいます。エスカレーターの左待ち、右待ちも、関西の真逆ですし、東西間の違いって興味深いですね。

鬼子母神前駅で下車。
参道の大門けやき並木の通りを通過して、鬼子母神堂に参ります。
参道は「産道」が由来という話を聞いたことがありますが、参道に入った途端、まさに!という雰囲気になります。長い道ではないのですが、木立で鬱蒼としています。でも、おどろおどろしい感じはなく、むしろ清潔で、住宅街の中であることがわかりますが、なかなかの高級感のあるところです。京都でいうなら「北区小山」っぽい。(京都人しかわからん?いや、レアすぎて京都人でもわからんかも…笑
否応なく、ワクワク感が高まってきますよ。

参道を曲がると、お堂が見えてきます。
ろくに下調べしなかったもので、内心、もっと小さなお堂を想像していたのですが、いやいや、もう、大きなお寺でした。失礼いたしましたです。

お堂の中です。どなたかのお祓い中で、銅羅が鳴りお経がこだまして、風情がありました。

私も、鬼のツノをとって育児ができますよう…と祈りました。笑

境内にある樹齢700年という御神木の大公孫樹(おおいちょう)は東京都指定天然記念物だそう。私は、北欧神話のユグドラシル(世界樹)が脳裏に浮かびましたよ。ユグドラシルは宇宙の中心で、世界全体を包括しているとされる神話上の大樹なのですが、いかにも、そんな感じでしょう。

 

まだまだ見所の多いお堂ですが、雑司ヶ谷編はここまでです。ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。
ちなみに、このお堂のあるお寺の正式名称は威光山法明寺というようです。
また、この辺りは七福神めぐりもできるようなので、散策しながら回っても良さそうですね。
何がいいって、先ほども書きましたが、どこにいっても混雑している東京の街中なのに、驚愕の人の少なさ。(笑) 一人でもせかせかせずに、ゆっくり、ゆったりと巡ることができる素敵なところでした。^^

追記:墓地のカラスから

先ほどまでの投稿で墓地編は終わったのですが、一つエピソードを書き忘れていたので、ここで加筆。

花屋を営まれている(と思われる)おじさんに、道順を教えてもらった時、大きなカラスが墓石に停まっていました。思わず、
「立派なカラスさんですね」というと、おじさんは
「あれ、うちのカラス。まだ小さかったカラスがここの木から落ちてきたから育てだんだよ」とおっしゃっていました。

なるほど。だから人目を引くような雰囲気があったのですね。
人の愛情を受けて育ったカラス。物語の続きができそうです。^^
墓地らしい素敵なお話ですね。

もし、雑司ヶ谷霊園に行かれて、人の目に近いところにカラスがいたら、彼かもしれません。
カラスは人の寿命並みに(一説によると百年生きるモノもいるとか)生きるらしいので、知恵があり、だからこそ(人から見ると)いたずらをしたり、いじめたりしているように見えるのだと思います。
人の言葉も、ひょっとしたら理解しているかもしれませんから、ちょっと話しかけてみてはいかがでしょうか。(^_^)

京都タロットでカラスと言えば、八咫烏(ヤタガラス)
三本足のカラスとして知られていまして、熊野系の神社さんなどではお馴染みの神紋です。この頃は、サッカー日本代表のマークとしてもご存知の方も多いのでは。

烏は西洋では魔女のマークのように思われていますが、日本の八咫烏はもっと神格化されたシンボルです。
神武さんの東方遠征を先導していった鳥と神話では語られていて、雄々しい面の日本男児の象徴として、あるいはリーダーの印として、無限の可能性を意味する『#0,たろう』の持っている槍のようなモノに旗印として掲げ、猛々しい戦勝の兆しである『#7,ヤマト』の胸の意匠にシンボルとして登場させています。かっこいいな〜。

 

 

雑司ヶ谷3、恋に生き、恋に散った大正ロマンの巨人たち

さて、雑司ヶ谷墓地も、今回が最終回です。

墓場めぐりの趣味が特にあるわけじゃないのですが(笑)、なかなかこんなにいっぺんにお参りできることがありませんよね。

また、お墓は墓標というだけあって、標(しるし)であり、とてもシンボリックなものを覚えます。特に、雑司ヶ谷墓地は、すごく整備された現代の墓地とは違って、古いけれど清潔で、『The日本の墓地』という印象を受けました。

 

 

竹久夢二さん。今もファンが多いのがわかります。煙草が供えられていました。

和製ロートレックと呼ばれるように、彼の抒情的な画風は一世を風靡し、現代でもなお古びることがありません。

夢二という乙女チックな雅号と、あのイラスト。当時、少女たちの心を鷲掴みにしたのも頷けます。

 

私は最初、「え?!ここに眠っておられるの?」と、ちょっとびっくりしました。

彦乃はんと京都で眠られているような、勝手な印象があったもので。(←安易)

考えてみれば、夢二が京都で下宿していたのは、恋愛沙汰から逃げ、美大生だった彦乃と人目を忍んで暮らしていた場所というだけで、(認められていた関係ではなかったので)、お二人が合祀されたお墓があるわけもなく。

早逝した彦乃との恋を生涯忘れなかったという夢二さんは、彦乃の幻影を追って作品を描いていた面も多々あるでしょうから、多くの甘〜い素敵な作品を生み出されたこと……今となっては、それだけで十分な気がします。

 

ちなみ余談。実は、めっちゃ遠〜〜い親戚だそうです。夫の亡き祖母が生前に言っていました。(祖母は夢二さんと同じ岡山出身)

だからってわけではない こともない のですが、夫と恋人時代に岡山県の牛窓に旅行に行ったことがあって、その時、夢二郷土美術館にも立ち寄りました。なっつかし〜♪ペンダントを買ってもらったような…  記憶が遠いなぁ。笑

 

こちらは、島村抱月さん

(調べてみると、現在、三女トシコさんによって島根県浜田市のお墓に納骨されていて、こちらはファンのための墓碑であるそうです)

近代〜現代の劇作家、演出家としてすごく有名ですね。

彼を考察する時、外せない存在が、女優松井須磨子

抱月さんは、女性の解放、自由を旗印に掲げて活動し、新しい女性像を希求していました。須磨子さんは、彼の思う理想像を演じられる無二の理解者であり、女性だったのでしょう。多くの作品に彼女を起用しています。

 

人気のあったお二人の不倫は、当時一大スキャンダルだったらしく、抱月さんも百叩きにあったそうで、家庭をはじめ、多くを失いました。まあ、今ではよくある芸能人のお話ではありますが、夢二さんと違って隠れてコソコソではなく、全てを失ってでも、ドンとやりきったところが、単に美しい人を囲っておきたかったという意味ではなく、お互いに人生を賭した仕事であったことが窺えます。お二人で芸術座を結成されています。

 

それを思わせるのが、この墓標。『観照』という文字と、彼の書いた詩があり、たぶんですが、禅を学ばれているのでは?と推測されますね。

在るがままの現実を即して。
全的存在の意義を髣髴す。
觀照の世界也

味に徹したる人生也 

此の心境を藝術と云ふ 

          抱月

須磨子女史は、彼の亡くなった二ヶ月後、なんと彼の後を追って、彼が亡くなった場所で自殺をしてしまうんです。

抱月さんへの心酔ぶりが窺えますが、ひょっとしたら、そんな単純なものではなかったかもしれません。想像するに、彼が亡くなったことで、後ろ盾をなくし、さらに周囲からの喧々囂々の非難をより浴びることになったでしょうから、とても居たたまれなかったのかもしれません。

当時の好奇の目と非難の凄まじさは、須磨子さんにとって、彼がいてくれてこそ耐えられたことだったのではと思われます。まあ、しかし、今となっては昔の話。こんな風に、お二人を美化して語りたくなる気にもなってきますね。相手のご家族からの恨みも、時が三代も進めば、昔話にもなるでしょうから。

 

雑司ヶ谷2、鏡花、八雲…近代幻想文学の極み

前回は、雑司ヶ谷墓地というところで、夏目漱石さんのお墓参りをさせていただいたお話でした。

まだ続きます、雑司ヶ谷墓地めぐり。今回は、このブログに、墓が立ちまくると思いますが(笑)、いずれも著名な方ばかりなので、どうぞお付き合いをいただければ嬉しいです。^^

こちらのお墓は、憧れの泉鏡花先生のものでございます。尾崎翠と並んで、私が最敬愛する明治の文豪です。
彼を知ったのは、二十歳くらいの時。昭和のグラフ誌、平凡社の『太陽』(って今もあるの?)で特集されていたのがきっかけです。この雑誌は今も手元にあって、たまーに(年に1回くらい)読みます。浪漫的詩情溢れる写真と、その解説によって、私は鏡花さんの世界を覗くようになりました。
彼は、幼い頃に母親を亡くしたことで、生涯、母親の憧憬を抱え、面影を追って生きていきます。その想いが、それぞれの作品に、現実の女としてではなく、女神や聖母、時には鬼女や女妖などとして表現され、薫り高い幻想文学として昇華されているのだと思います。 彼の見ているものは、もちろん幻に過ぎませんが、それは、その奥にある(かもしれない)元型に出会うためと、『太陽』の中の解説者は語っています。

私もそう思います。
彼が、亡き母の幻の中に求めていたものは、単に母性と言うより、あらゆる側面を持った女性性への畏れと憧れ。「女というもの」だったのではないでしょうか。

雨と紫陽花と泉鏡花。幻想文学の作家の墓標に似つかわしい、青い紫陽花とともに眠られています。素敵ですね。

余談ですが、私の一番好きな花が紫陽花です。若い頃は、チューリップでしたけど。近頃、なぜかますます心惹かれるのが紫陽花。

 

不意に、出会いました。小泉八雲。ラフカディオ・ハーンさん。
夫人のセツさんと並んでお休みです。
彼に日本の怪談等の民話や昔話を語って聞かせていたのはセツさん。
仕事用の資料を集めたりなど、彼に大変尽くしていたと言われています。

異国に渡り、あのような美しくも怖ろしい文学作品を書き、大学で英文学を教えていた八雲さん。
(ちなみに、東京帝大で、彼の後釜として教鞭を執っていたのが漱石先生です)

もともとニューヨークでジャーナリストだった八雲さんは、仕事仲間で世界一周旅行で知られるエリザベス・ビスランドの影響から日本に来たと言われています。

有能な美人記者であったビスランドに生涯憧れ続けていたと言う八雲さん。前にNHK?で見た記憶があるのですが、ビスランドさんは、世界一周旅行と言う経歴から、雄々しい物を書いた人であるかのような印象を持ってしまうのですが、実際の彼女の文体は文学的であったと言うことで、八雲さんが物語を書く人になっていったことも、深いところでは影響を受けたのじゃないかと推察します。(とはいえ、資料収集に努めたセツさんが、八雲さんの成功の一番の功労者でしょう)
八雲さんの死後、ビスランドさんが彼の伝記を書いたことで、海外でも知られるようになったことは、何だか嬉しいことですね。

 

こちらは、永井荷風さん。主に大正期から昭和の初め頃に大人気を博していたと言う作家ですが、実はあまり存じ上げません。すみません;

ネットで調べると、文化勲章を受けた大人物でありながら、いかに女好きで、キテレツな人であったかが散見できます。 どこまで本当かはわかりませんが、彼は現代に生まれなくて本当に良かったと思います(笑)。今なら、ゲス男と言われるタイプの方ですね。はい。現代という時代はネットがあるから、大文学者であっても、奇行の方が取り上げられてしまうでしょう。まあ、良い意味の制御機能にもなっているでしょうけれど。私も知り合いになりたくない…と思いましたもん。

 

…ということで、ここでまた区切ります〜

そぼ降る雨と雑司ヶ谷1、夏目少年にアダシノを想う

雑司ヶ谷墓地は、まるで演出しているかのように、ええ感じで雨に煙っておりました。

さっそくガードマンのおじさんに夏目漱石と泉鏡花の墓標を尋ねると、案内図を広げて「永井荷風でしたっけ?」と聞くので、「永井荷風(のお墓)もあるの?」と覗き込むと、その案内図は教科書に名を連ねるかつての文化人の名前がぎっしり書き込まれていました。管理事務所が作成したようです。

「これは、どこに行けばいただけますか?」と尋ねると、ガードマンさんは「まだあるから」と手に持っているものをそのままくださいました。

 

雑司ヶ谷霊園、明治7年開設ですって。すでにそれまでから墓地であったようです。京都でいう化野や鳥辺野などと同じような場所だったのでしょうか?「ぞうしがや」という響きが、大昔の鳥葬の地を感じさせるものがありますね。京都タロットでは、12番をアダシノ(化野)と名付けています。

12番は、西洋タロットのThe Hanged Man「吊るされた男」に対応しています。膠着状態、にっちもさっちも行かないという状況が表されていますが、アダシノでは、「その下で育まれているもの」という含みを持たせています。

 

この絵の少年は両親を亡くして呆然としています。心は空虚そのものです。しかし、その彼の意識下で進行しているものは、とても偉大なものです。言ってしまえば、王者の素養。あ、漱石先生も、母親が高齢であったためか、里子に出されたり、その先でさらに養子に出されたりと、大人の事情に振り回される幼少期でした。

いつも漠然とした一寸先の不安を感じている少年であったかもしれません。しかし、おそらくは、その経験が、彼を自由にし、強くしたのは確かだろうと思うのです。

 

漱石さんは44の時、文部省からの博士号の授与を辞退し、当時波紋を呼んだそうです。それは、政府への反抗の現れでしたが、これを自らの意思で決行できたのは、幼少期の不遇時代に培った強さであり、自由な精神だったのではないでしょうか。頼るべきものが頼りないことは怖いことですが、それゆえに、誰にも寄りかからない自由の精神というのは育まれ得るのだと、私は思います。

博士号という華々しい名誉(特に昔は授与者もずっと少なかったでしょうから)より、「ただの作家」であることを選んだ彼は、今でこそ、なんて自由で、なんて立派なんだと理解できますが、当時は「アホちゃうか」と言われていたはずです。博士号があっても作家活動は続けていけたでしょうし。

 

アダシノにおいて、しゃれこうべに腰掛ける虚ろな眼差しの少年に、その瞬間の絶望と空虚を語らせながら、彼の心奥において育まれているものに思いを馳せよと、私は伝えたかったのです。

夏目少年をはじめ、多くの不遇の人々の死(と言っても精神的な死)の下で進行している、偉大で崇高な何かを、アダシノの中に、私は込めたかったのです。一見、そのようには見えなくても。

 

そんなわけで、夏目漱石さんのお墓。立派です。この墓地で最も目立っている大きなお墓の一つです。

すでに花が手向けられていました。

まずは、「ここ」に来たかったのですね、私。

手を合わせて、振り返ると、女子大生風の女性と入れ違いになりました。

お互い、軽く会釈をする程度でしたが、お墓参りにまで来るとは「そこの若いの、偉いのぉ」と、思わず心で申し上げてしまいましたよ。笑

ひょっとして、雨が降っていなかったら、漱石先生のお墓には、お参りをするお若い女性が列をなしていたりして…それはないか

 

まずは、ここで一区切り。…この調子でいったら一ヶ月くらいかかりそうなので、次回からは、もうちょっとスピードアップしたい。

近代の文豪らを偲ぶ 始まり

東京へ遠回りするからには…と計画を立てたのが、近代文豪のお墓めぐり。まずは、かの夏目漱石先生です。調べてみると「雑司ヶ谷」という墓地。近代の文豪やアーティストたちがたくさん眠られている大霊園とのこと。私の好きな泉鏡花も、こちらで眠られていると知りました。

ちなみに、京都にも谷崎潤一郎のお墓等ありますが、近代以降の文豪の墓標は、ほぼ東京に集中しています。日本の文芸シーンは、特にこの時期、東京にあったと考えて間違いないのでしょう。
日本史の上で、文芸の中心地は長いこと西日本側に偏っていましたが、江戸期になると、東と西とで文化シーンが2分されていた時代がありましたね。しかし、近代から現代に至っては、完全に東(東京)に持って行かれた感は否めません。文豪のお墓の在処を調べるだけでも一目瞭然です。(関西人としては)ちょっと寂しいことですが、これも、日本文化の形成上、そうあるべくして、そうあるのでしょうね。

さて、そんなわけで、雑司ヶ谷墓地に近いホテルを予約していました。しかし、大雑把なワタクシは、実にテキトーな把握しかしていなかったりで。(^◇^;)
デザイナのYさんから、深夜の地下鉄の中で乗り換えや道順のレクチャーを受け、無事にホテルに到着できたわけであります。彼が降りるはずの最寄りを一つ多めに送ってくださって、ほとんど田舎のおばあちゃん状態で、お気遣いいただいてしまいましたです。本当にありがとうございました。

………閑話休題。

雨でしたので、タクシーに乗りました。
前夜、Yさんから、「そこからなら(墓地まで)中途半端な距離なので、雨が降ったらタクシーがいいかもしれませんね」という助言をいただきましたので、受付にタクシーをお願いしました。すると、受付の方から「中途半端な距離なので、ここまで呼んで初乗りを払うのはもったいない。大通りで流しを捕まえる方がお得ですよ」と、さらにアドバイスがあり、それに従って、大通りでタクシーを捕まえて場所を告げ「近くて御免なさい」と伝えると、「いいえ、中途半端な距離なので、タクシーに乗った方が得策です」と。
いやぁ、笑えました。いかにタクシー乗るのにちょうど良い距離なのかが、よくわかるエピソードですね。笑
「墓地っと行こか〜」と運転手さんに、ダジャレを言いたくなるのを、グッとこらえまして。初乗り410円で到着。^^

…と言うことで、いよいよ雑司ヶ谷墓地へ。
風情のある良い墓地です。古いのですが、その古さがとても好いですね。

(本題前で息切れしてしまい、次回に続く…)

タロット映りし我が姿かな 

あいさんの作った朋百香さんの鏡

以前にブログにも書きましたように、京都での原画展の折に、天啓のように強烈に感じたことが、「京都タロットとは、絶対肯定のカードである」ということ。
今回も、もちろん、その啓示に驚き、感じながら見させて頂きました。

京都タロットは、ただ、今の『あなた』を鏡に映したように見せてくれます。
そこに「判断」は本来ありません。

人は過去を診断して、未来を予測しようとします。
それは、もちろん悪いことではありません。
私自身も、本当のところ、今すぐにでも啓示が欲しい事柄があったりしますよ。まったく。笑
タロットを「引く」人の多くはそうであるだろうと思います。

でも、困ったことに(笑)、京都タロットは、そういう解決法を見せてはくれません。
このことは、実は今回の原画展で一気に見させていただいて、気づいたことです。

今回の長平庵さんで、はっきりとわかったことは、「京都タロットを展開する」ということは、

京都タロットという形で、今のあなたが、机上にただただ浮かび上がっている…

…それを観る。観る。観る。ということです。

それが、何を表しているかおわかりでしょうか?
京都タロットと向き合うということの意味です。
私が、ここで伝えたいことは、

その時、「あなた」と「京都タロット」が一体であるということ。
これは、「ふつう」でありながら、同時に「すごい」ことなのです。

ここに、全く新しい解決法があります。
いや、えっと…全く新しいとまでいうのは、たぶん誇張ですね。すみません^^;
しかし、私たちの慣れ親しんだ「原因と結果」という物事の見方や、過去ー現在ー未来という直線上に理解をしている「時間軸」なるものから、少し離れてみることが、このタロットとの触れ合いにより感じることができることを伝えたいのです。

簡単に言えば、捉われないあり方の神秘を味わう「隙間すきまが、ここに即座に現れる、ということ。

ちなみに私は、従来の「原因と結果」というものの見方も、とても大切にしています。
そうして、現実を構築していく中で生まれる「血」と「汗」もまた、尊いものです。

ただ、そこにプラスアルファ的でありながら、大きな変容、変化を人生に招き入れる可能性があるのが、京都タロットだとお伝えしたく思いました。

ここがまさに!実に!すべからくお知らせしたいところであり、今回到達(というのは大げさですが…;)したところですが、話が長くなるので、また、どこかでお話しできればと思います。ああ、説明がうまくいかなくて歯がゆい。なにせ、気づいたばかりのことなもので。そのうち、脳内がもうちょっと整理され、まとまってくると思いまする。

†      †

一ヶ月前に急きょ開催が決定した長平庵での展覧会。ちびっ子がいるので、なかなか都合がつかない身なのですが、下のボンは夫と実家遊びしてくれることになり、そればかりか、夫から「せっかく横浜まで行くんだから、日曜日は東京でも寄ってったら?」などと背中を押してもらったおかげで、楽しいおまけまで付いて、素敵な一人旅になりました。(夫よ、あなたこそ京たろうさん♪)

ワクワクひとり旅の様子は、またアップしますね^^

そのお部屋、長平庵(朋百香さん原画展@横浜)

たいへんご無沙汰しております。
(日々にボーサツされておりまして、更新する余裕がありませんでした。すみません;)

さてさて、今回、久しぶりに更新いたしましたのは、、、
先週末、京都タロット原画展が長平庵(朋百香さんちの私設ギャラリー@横浜)で開催され、私もおじゃまさせていただくことになりまして、そのご報告をばさせていただこうと思います。

(今回の展覧会は「聞いてないよ〜」とおっしゃる方がほとんどだと思いますが、昨年の京都での原画展に来られなかった朋百香さんのご友人の方を中心にお声を掛けられ、予約制にしまして、こっそりひっそりと開催させて頂きました。DMなども出しておりませんが、お許しください)

 †      †

「はい、ミケさんはこちら」と通された間こそ、私がいつの頃からか憧れ続けていた「そのお部屋」でした。

大正ロマンの間。

明治から大正、昭和初期に掛けての近代文豪たちを敬愛するワタクシは、憧れのあまり、自分の小さな書斎も、大正ロマンを標榜して『三毛庵』などと名付け、せっせとナンチャッテ大正ロマン風に設えてきましたが……嗚呼、此処にきて、本命登場〜。( ̄ー ̄)*

この懐かしいような、晴れやかなる空間。
目指していた「お部屋」が、「ここ」に用意されていたという喜び。
ひたすら「キャーキャー」と小さい声で弾んでしまいました。(←おやめなさい、ワカイコやあるまいし……^^;)

そこで、私はまる二日、ひたすらタロット占いに興じておりました。

実は、京都での原画展のすぐ後に声帯を痛めてしまい(厳密には声帯の周囲が炎症を起こし=原画展での喋りすぎが原因ではございませんよ〜笑)、声が出にくくなって約半年経ちました。今回の展示会を楽しみにしつつも、少し危惧を感じていたことが、この喉の調子でした。
ダミ声で申し訳なく思いながらも、喉の調子もまずまず良く、楽しく過ごせましたこと、とてもありがたく嬉しく感じています。

何といっても、ここは、京都タロットの物語が生み出された場。彼らの生まれ故郷であり、眠る場所でもあるのです。朋百香さんが6年に渡り、来る日も来る日も絵筆をとられていた長平庵。私が愛おしく感じずにいられるわけはありません。

 

(長平庵)洋館部と町家部

 

 

夜の長平庵(洋館部)

 †      †

今回は、おおよそ30名様の方を京都タロットで見させていただきました。
ありがたい出会いもあり、嬉しい再会もありました…。

…いつも朋百香さんのブログで拝見しているお姉様方。
鏡のスートの製作時に朋百香さんの鏡を製作中だったというあいさん。
前回、懇意でカードと素敵なレゾネまで制作してくださった加藤社長とご夫人の待子様。
10年前に夢見のレッスン講習会に来てくださったKさんとの再会。

お会いしたかった方々、思いがけない方々との、その空間での邂逅がありがたく、また、大切なお話を聞かせていただけて、勿体無く感じているところです。

(※朋百香さんの原画展での楽し〜いご紹介記事は、ぜひこちらをご覧ください^^)

 

 

お着物の姉君の勾玉シスターズ(謎)の皆さまと あいさん製作の鏡。

続く…

赤い服を着た俳優の夢から剣の宮への考察

たいへん、ご無沙汰してしまいました。ゆるゆると再開します^^

今年1回目の投稿は、ある夢見から、京都タロットについて考察するお話です。

 

映画のワンシーンと思しき場面を見ている夢を見ました。

全身、真っ赤っかな服を着た古谷一行が胸を刺され、彼が「これは鬼龍院か」と切りつけた相手に尋ねます。相手は「違う、矢音(やおと)だ」と答えます。

互いに不思議な顔をして見合わせる二人。
矢音なら致命傷を受けるはずなのに、どうやら自分は助かっているということのようです。討った方も討たれた方も、あれ?という感じなのです。
その時、矢音を受けた誰かが後ろの方で倒れた気配がしました。
二人とも、何が起こったかよくわからないという感じです。

この同じシーンが3回繰り返されるという変わった夢でした。

リピートする夢なんて、そうそう見るものでもないですし、真っ赤な古谷一行の衣装も印象的すぎて、これは注目すべきだと夢の世界から言われているようでした。
...

さて「矢音」とは、この夢では、刀の名前ですが、一般的には、刀を振り下ろした時の音の表現として使われることが多いように思います。

(こんなふうに言うと、私が普段から、このようなことに詳しく、よく考えている人のように思われるかもしれませんが、この夢を見るまで、ただの一度も、刀の種類や名称、あるいは「矢音」という表現について考えたことも、脳裏をかすめたことすらなかったということを、付け加えておきたいと思います。また古谷一行さんのことも、金田一耕助役で知られていることと、MEGUMIさんのお舅さん(笑)というくらいのことしか知らず、特に考えたこともなかった俳優さんです)

最初に思い浮かんだことは、京都タロットの宮(スート)のひとつ『剣』について示唆を受けたのではないかということです。

 

『剣の弐』の背景は赤色です。
『剣の参』の背景は青系ですが、剣の弐の背景と同じ赤の格子の模様がほんの少しだけ使われています。
つまり、この二枚は繋がりとして見るべきでしょう。(いや、この2枚だけでなく、すべてのナンバーは繋がって並んでいるのですが)

剣の弐は、最初の二人を暗示します。古谷一行と刺客の男性です。
そして剣の参。これは、場面には直接出てきませんでしたが、矢音で切られた3人目の「だれか」を暗示しています。
このように見ればわかりますが、この2枚は『矢音』という一つの軸に貫かれているのです。


私は、前にこの2枚の解釈で、
剣の弐には『折衷案を探る、歩み寄り。新しい考えを招き入れる』
剣の参は『行き詰まる。心が乱れる』という意味を付していました。

この解説では、剣の参は、否定的な意味合いの強いカードであったわけですが、実は、必ずしもそうではなく、かつての何らかのアクション(@矢音)が、意図ではないところに爪痕を残していることを知ること。または、伐られた側(古谷一行)から見れば、ある種の「身代わり」という守りがあることも語っているように思うのです。

 

ここまでまとめて気づくことは、あの夢は、メジャーカードの『拾伍、オロチ』、さらに『八、エンマ』のことではないかということです。
三の数が三回リピートされることは3×3=9と考えられなくもないですが、私は三進法を連想してしまいました。
三進法で3ずつ繰り上がって3回目の数字は、馴染みのある十進法で言えば「8」にあたり、さらに三進法でなら「22」です。そう、22はメジャーカードの枚数で、8はエンマでもあり、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)を連想させる数字でもありますね。
『拾伍 オロチ』はヤマタノオロチ伝説をテーマにしましたが、そういえばオロチのスサノオノミコトも『八、エンマ』の閻魔さん≒小野篁も赤い着物に身を包んでいますし、なんだか夢の中の古谷一行ともリンクしていますね。さらに、古谷一行が最初に『鬼龍院』かと刀の名を尋ねていました。鬼龍という言葉は、まさにオロチっぽいです。

 

……なんだか、かえって、ややこしく感じてしまったらごめんなさい。
 

(前に書いたことがあるかもしれませんが、私は、あの2枚のカードに繋がりを感じていまして、それをどのように説明したらいいのかを、ずっと考えていました。…なので、夢の世界の私が、あの手この手で解説してくれたのだろうと思えます。)


あの剣の2、3の2枚が「矢音」という軸に貫かれていると先ほど書きましたが、実は「矢音」という軸は、あの2枚だけではなく、すべての剣の数カードを貫いており、さらに8と15を含めた剣の宮全体を象徴したものではないかということです。

 

 

また、日本人にとっては特に、「三」というのは、とてもメジャーな数字で、ラッキーナンバーにしている人も多いのではないかと思います。
3本の指に入るという言い方もあるように、日本三大〇〇など、3つの立派なものを並べ称したりもします。
そんなあれこれを考え合わせながら、あちらのブログで書いた、三叉槍という三と剣(槍などの武器)のシンボルを考えてみますと、わかりやすいように思います。

3つの槍は、致命傷を負わせるほどの強い力を持ちながらも、強い守りにもなっているということです。
...

 

◉『拾伍,オロチ』の伝えたいこと

三種の神器の一つ、『草薙の剣』がふと浮かびました。攻めも守りもあるという、ヤマタノオロチ伝説でのスサノオノミコトが見せたような、闘う人の本当の強さを示すシンボルが三と剣の組み合わせにはあって、それが、草薙の剣として象徴されているように思えました。もちろん、その剣先が三又になっているって意味ではありませんけれど。

草薙の剣とは、きっと、あの夢で例えるのなら「矢音」のこと。先ほども書きましたが、刀を振り下ろした時の音を「矢音」というように、草薙の剣というのは、実体があるというより(熱田神宮に存在すると言われていますが、そういう意味ではなくて)、その神がかり的な勢いや強さを象徴する名前。

数カード『剣』の弐から参に現れているのは、行き詰っても、折衷案を探り、一致点を見出すなりして、新しいアイデアを見出したり受け入れたりすること。剣の宮は、とどのつまりその繰り返しであろうということです。

タロットの15番といえば、ネガティブな意味合いが目立ちますが、実際は守られており、うまくいっていることも、それゆえ遊び心を持って闘いに挑むことも、京都タロットの絶対肯定性として、伝えたいところだと改めて思ったわけです。


◉『八,エンマ』の伝えたいこと

エンマは剣の宮全体の統括カード。オロチで見つけた『草薙剣』は、ここでは『閻魔さまの尺』として現れています。裁くことは、伐ることに同じ。もしくは、直接伐ることなく、裁け(判断せよ)と、閻魔さまの透徹した眼差しこそ、この宮で望まれていることだと教えてくれているわけですね。それゆえ、剣の宮(Sword)は「思考」を担っているとされているのです。

剣の宮を貫いているとした『矢音』。やはり、草薙剣そのものですね。音で『実体』を感じさせるのですから。そもそも幻でしかない世界を、できるかぎり適切に捉えるという力。矢音とは、まさに思考の力です。

 

 

さてさて、そんな京都タロットのことを、これからも思うままに綴りたいと思っています。西洋タロットを踏襲している面もありつつも、かなり違うものでもあるとも言えます。楽しんでお読みいただければ嬉しく思います。

剣の九、たとえ形勢不利であっても

このスプレッドは、犬をも喰わぬ口論をしたあと(いんや、口論と言っても、一方的に怒られているだけなんだけど…^^;)に展開したもの。下の3枚が通常の三柱鳥居法。見る人が見ると笑えるのでは?

ここでは『剣の九』について。「形勢がどうしても不利」というカード。笑

 

ただし、絶対肯定の京都タロットは、ここでガッカリなどいたしませんよ。「形勢不利」という状況が、「現在、完全にオッケー」であると読みます。すると、見えてくるでしょう?

『八、エンマ』『六、ムスビ』の真の意味が。

 

確かに、口論の時はズタズタに傷つきましたが、ここではその不利な状況を変えようということではなく、だからこそいいのだと率直に反省をして、忘れることは忘れ、あるいは惰性になってしまっている悪しき習慣(←これについて怒られまして…)を潔く切り捨てることで(エンマ)、より良き強いパートナーシップが育まれる(ムスビ)ということを教えてくれているわけなのですね。

 

さらに、アドバイスを求めたところ『拾、コノハナ』。このパートナーシップから何かが生み出されるという暗示までいただきました。(@もう、赤ちゃんは結構ですが…by.アラフィフママ)

 

このあと、『剣』について洞察する夢を見ましたが、それはまた次回^^